国際文化表現学会

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zoom RSS 2016 東京研究会プログラム

<<   作成日時 : 2016/11/24 16:35   >>

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日時:平成28年12月3日(土)

会場:日本大学文理学部(京王線 下高井戸あるいは桜上水下車、徒歩8分)
    3号館3201・3202・3301教室    
    
12:30 受付                 
12:50 会長挨拶 佐藤三武朗 (会場:3202)


<研究発表>(発表25分、質疑10分)

第一会場:3201教室 司会:大川英明@、小田切文洋A〜D

13:00 @先人の言語学習ストラテジー −古代から明治まで−
                               保坂敏子(日本大学大学院)
13:40 Aオノマトペの翻訳にみえる日中対照―宮沢賢二作品『注文の多い
         料理店』を中心に―    池間紫乃(日本大学大学院生)
             
        本人欠席のためキャンセル
14:20 B『白氏文集』の色彩表現について―「紫」を中心に―
                                    中元雅昭(日本大学)
15:00 C「莫言小説における日・英翻訳について」―《生死の疲労》の訳を中心に―
                           倪(ニイ) 瑋(ウェイ)(常葉大学)
15:40 D日本古典詩歌の「漢訳」研究―「形近神似」論 
                                      呉 川(日本大学)

第二会場:3202教室 司会:吉田克己@、吉田正紀A〜D

13:00 @羽地朝秀の財政改革に関する一研究
                                  大淵三洋(日本大学)
13:40 Aインドにおける異文化結婚と行為選択としての同化と差異化−日本人
     女性の事例から                    宮崎智絵(日本大学)
14:20 Bアジア系アメリカ人のモデルマイノリティ「神話」の虚像
                                   武井 勲(日本大学)
15:00 C日本美術院時代の岡倉天心の日本美術史論
                            雨宮久美(日本大学)
15:40 D日本イメージの水脈―日本の弁当文化について―
                        池間里代子(十文字学園女子大学)

第三会場:3301教室 司会:後藤 隆浩@A、椎名正博BC

13:00 @Thomas Hardy小説におけるモダニズム的側面について
                                   杉本宏昭(日本大学)
13:40 Aリンガード『バリケードの恋愛』におけるシェイクスピア『ロミオとジュリエ
      ット』の受容について                 福島 昇(日本大学)
         発表者の都合によりキャンセル

14:20 Bラクロ『危険な関係』における「聖性」
                                  橋本由紀子(日本大学)
15:00 C旅情回想人間関係考−西欧編―:コミック『荷風になりたい 不良老人
      指南』を契機に                石渡利康(日本大学名誉教授)


   *当日はどなたでも入場可です。関心のある方は国際文化表現学会事務局
    (ホームページ)までご連絡ください。




平成28年度 国際文化表現学会東京研究会
研究発表要旨

第一会場(3201)
@先人の言語学習ストラテジー −古代から明治まで−
保坂敏子(日本大学大学院)
言語学習ストラテジーとは、「学習をより易しく、より早く、より楽しく、より自主的に、より効果的に、そして新しい状況に素早く対処するために学習者がとる具体的な行動」のことである(0xford 1990、宍戸・伴訳1994)。外国語学習において、言語習熟度の高い優れた学習者は、言語学習ストラテジーの使用頻度が高く、使用する言語学習ストラテジーの種類も多様であることが近年の研究で明らかになっている(O’Malley & Chamot 1990、Oxford 1990、Ellis 1994)。外国語の熟達には、言語学習ストラテジーの使用が欠かせないということであるが、現代のようなICTや電子機器など便利な学習のツールがなかった時代において、言語熟達者となった先人たちはどのような言語学習ストラテジーを使っていたのだろうか。そこには何か共通点のようなものがあるのだろうか。本研究では、古代から明治の時代に外国語を習得した先人を取り上げ、現代の言語学習ストラテジー分類の枠組みを使って、彼らが使った言語学習ストラテジーの分析を試みる。また、それをもとに、言語熟達者の間の共通点や、時代を超えて有効な言語学習ストラテジーについて考察する。
今回分析の枠組みとしたのは、Oxford (1990)で示されたストラテジーシステムである。このシステムでは、言語学習ストラテジーが6つに分類されている。まず、目標言語に直接かかわる「直接ストラテジー」と、言語学習を間接的に支える「間接ストラテジー」の2つに大きく分けられ、さらに「直接ストラテジー」が記憶ストラテジー、認知ストラテジー、補償ストラテジーに、「間接ストラテジー」がメタ認知ストラテジー、情意ストラテジー、社会的ストラテジーにと、それぞれ3つに下位分類されている。今回は、平安期の勧学院と、中世のロドリゲス、幕末・明治期の南方熊楠の言語学習法に関する記述をこの6つのストラテジーの枠で分類し、それぞれの特徴や共通性について検討する。


Aオノマトペの翻訳にみえる日中対照―宮沢賢治作品『注文の多い料理店』を中心に―                池間紫乃(日本大学大学院生)
本発表は2016年5月7日に行われた国際文化表現学会第12回全国大会で発表した「宮沢賢治作品にみえるオノマトペの日中対照―『蜘蛛となめくぢと狸』を中心に―」、及び6月26日に行われた日本文体論学会第109回大会で発表した「宮沢賢治作品にみえるオノマトペの日中対照―寓話 猫の事務所」を中心に―」に続き、同じ手法で宮沢賢治作品のオノマトペ中国語翻訳について分析し考察するものである。
 今回取り上げる『注文の多い料理店』は、宮沢賢治の生前に出版された唯一の短編作品であり、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』に並び彼の代表作品として著名である。
『注文の多い料理店』は短編集『注文の多い料理店』に収録されたもので、1924年盛岡の杜陵出版部と東京の光原社を発売元として1000部発行された。収録作品は『どんぐりと山猫』『狼森と笊森、盗森』『注文の多い料理店』『烏の北斗七星』『水仙月の四日』『山男の四月』『かしわばやしの夜』『月夜のでんしんばしら』『鹿踊りの始まり』である。この短編集は、イーハトヴ童話集(全12巻)の第1冊目として構想されたものの、高価だったこともあり売れ行きが芳しくなく、第2冊目以降の出版を断念したために詩集『春の修羅』と短編集『注文の多い料理店』のみが生前に出版された作品となった。
『注文の多い料理店』は1943年12月に上海で田村俊子が主宰した雑誌『女聲』(第2巻第8期)に『定件繁多的館子』として緑妮(陳緑妮、陳抱一の娘で武田泰淳作品のモデルとしても著名)によって初めて中国語に翻訳された。この経緯については推測の域を出ないが、宮沢賢治と親交の深かった草野心平と田村俊子との繋がりの中で翻訳されたものと考えられる。(頼怡真「中国雑誌「女声」文芸欄再論―上海で形成される宮沢賢治テクストー」九州大学日本語文学会、2014年10月)
前2回の研究により、宮沢賢治作品にみえるオノマトペは「独特表現」が比較的多く、中国語に翻訳する際に意訳となる場合が多かったが、本発表でも同じような結果になるのではないかと予想している。

B『白氏文集』の色彩表現について―「紫」を中心に―
中元雅昭(日本大学)
『白氏文集』は中国の白居易(772〜846年)の詩文集である。唐代各詩人における色彩語彙の使用例については、その統計的な調査がこれまですでに行われてきた(中島1988)。しかし、白居易の色彩表現に関しては、主にその詩人の名前に由来する「白」に対する考察に終始しているものがほとんどで(西村2001)、『白氏文集』における色彩表現の全体像は未だ明らかになっていないというのが現状である。そこで、本発表ではその全容を解明するための足掛かりとして、今回は「紫」に着目し、その表現の特色と白居易の創作意識を明らかにしていきたい。
 「紫」に関しては、『論語』「陽貨」篇に「惡紫之奪朱也」とあるように、五行思想に基づき青、赤、黄、白、黒が正色とされてきたことから、「紫」は聖人が用いるべき色ではないとされてきた。『詩経』にはその使用例は見当たらず、中国古典詩文の中で最も古い用例として確認できるのは『楚辞』からである。さらに、六朝詩文においても「紫」字の用例は確認できるが、その多くが『楚辞』と同様に「植物」を形容する場合に用いられている(小川1998)。一方、唐代では「紫」は冠位の上に置かれて高貴な色として尊重されている。『白氏文集』における「紫」字の使用例は、平岡武夫・今井清編『白氏文集歌詩索引』上・中・下冊(同朋舎、1989年)によれば151例確認できた。その中には、「植物」以外にも「衣類」や「文房具」など詩人の身の周りの品における使用例も見られるのが特徴的である。よって、今回はこれらの抽出データをもとに、白居易の色彩表現の運用と詩的効果について、それらの制作年代を追って網羅的に分析を試みることにする。
また、「紫」字を含め色彩語句の多くは「対句」の中で使用されており、いわゆる「色彩対」という修辞上の技法としても機能している。そこで、本発表では中国詩文における「色彩対」の定義や特徴を確認した上で、先行する李白や杜甫やなどの作品と比較を行い、白居易の「色彩対」の表現上の効果も合わせて考察していく。『白氏文集』の色彩語彙について、修辞的な側面からも白居易の表現上の特色と創作意識を解明していきたい。

C「莫言小説における日・英翻訳について」―《生死の疲労》の訳を中心に―
倪(ニイ) 瑋(ウェイ)(常葉大学)
2012年、ノーベル文学賞を受賞した莫言は、中国だけでなく、海外でも高く評価されている。彼の作品は、これまで英語、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ノルウェー語、韓国語、など様々な言語に翻訳されている。最も注目されている小説《生死の疲労》(「Life and Death Are Wearing Me Out(生死疲労)」『転生夢現』(日本語タイトル)はMan Asian Literary Prizeにノミネートされ、09年にNewman Prize for Chinese Literatureを受賞した。そして、ノーベル文学賞を受賞の理由「幻覚的なリアリズムによって民話、歴史、現代を融合させた」としての要素が最大限に体現された作品でもある。ノーベル文学賞表彰の全文の記述に『転生夢現』が最初に言及されている。この作品に潜在している批判性について「“ロバと豚の喧噪は人民委員の声をのみこんだ。”無名の大衆の中から突然現れた者が人類生存状況中で、最も暗黒な生活を過ごした。」と評した。
本稿は《生死の疲労》について考察し、莫言に関する研究と受容を踏まえ、ハワード・ゴールドブラット(Howard Goldblatt)の英訳と吉田富夫の日訳を取りあげ、翻訳者らはどのように中国文学・文化を伝達しようとしたのか、またどのような翻訳手段を用いたか、などを検証した上で、翻訳者の翻訳観や実際の翻訳がもたらした意義を探る。


D日本古典詩歌の「漢訳」研究―「形近神似」論
呉 川(日本大学)
 JMOOCの「文化翻訳入門講座」(日本大学大学院総合社会情報研究科)で取り上げた和歌・俳句の「漢訳」(中国訳)の問題点についてさらに検証し、新しい翻訳「範式」(パラタイム)を提案する。
1、 日本古典詩歌「漢訳」の現状
   「漢訳」とは、中国語による翻訳のことである。これまでは固定概念にとらわれ、
漢詩調に翻訳されることが多い。いわゆる「文化翻訳」と思われる現象がみられる。日本詩歌の「漢訳」は大体、三つの時期に分けることができる。
 ・1920年代、散文式口語体が多い。周作人の訳が代表的なものである
 ・1979年後、五言四句や七言二句、五言二句などが主流。「対聯」 のような訳が多い。
・近年、和歌・俳句の形式に合わせた訳も現れるようになる。
2、 日本古典詩歌「漢訳」のしかるべき「範式」
アメリカの詩人ロバート・フロスト氏は「詩とは、翻訳で失われるものである」と言った。確かに、言語は音と表記と意味が合体したものであるため、翻訳作業によって対象言語のもつ音と表記は失われ、意味だけが目標言語の音・表記に移される。そういう意味では百パーセントの翻訳は不可能ともいえるが、翻訳者の翻訳によって何が失われるかを検証し、究明することに重要な意義を持っていると思われる。
これまで和歌や俳句を漢詩調に翻訳されたことはまるで「お刺身を焼いて食べる」ようなやり方で、漢詩に翻訳された和歌はまるで「焼いたお刺身」のようなものと思われる。翻訳者は「手かせ足かせをはめられたダンサー」のようなもので、定型という枠の中で限りなく詩に近いもの、詩的なものを仕上げていくべきと考える。
本発表では、持論の「形近神似」について実例を取り上げながら検証する予定。

第二会場(3202)
@羽地朝秀の財政改革に関する一研究
大淵三洋(日本大学)
17世紀後半の琉球では, 羽地朝秀(はじちょうしゅう), 唐名, 向象賢 (しょうじょうけん)による大規模な財政改革が行われた。この改革は, 具体的には,1666(寛文6)年から1673(延宝元)年の間, すなわち,羽地朝秀が王府最高職である摂政の役職に就いている時に行われたものである。改革の評価は,概ね琉球の制度を改変し,新たな国家体制に作り変えたという事で一致していると考えて良いであろう。
 羽地朝秀は, 近世琉球史に一時代を画した人物であるにも拘わらず, 残念ながら彼の経歴を伝える史料は乏しく, その財政改革の全容を詳細に記述した史料も残されていない。残されているのは, 彼の施政下で出された布達文書の一部を集めた『羽地仕置』のみである。『羽地仕置』という場合, 基本的史料は『沖縄県史料 前近代 首里王府仕置』と『註校 羽地仕置』に限定される。後者には, 東恩納の詳細な注解及び改題が付けられているので, 本研究では,この著作を中心に羽地の財政改革を検討する事とする。東恩納は『註校 羽地仕置』の中で以下のように記述し,羽地朝秀を高く評価している。すなわち, 「向象賢 (羽地朝秀――筆者) は英雄でも豪傑でもない。一片の私心なき熱血良識の指導者であったに過ぎない。執政十年間昼夜精根を傾け尽して所信に遭遇し意に負荷の大任を完遂した。今, 戦後7年,不幸にして一向象賢の出づるなく,我等の郷国が解体のまゝに曝されていゐのを槐ぢ,そく即ち彼を地下に呼び出して警世の木鐸を叩かしめんとし,仕置を通じて,その精神に触れんとする所以である」と。
 さて, 『羽地仕置』に明示されている内容を大別すると,羽地朝秀の改革が大規模な政治組織や経済の合理化,無駄な費用の排除というように,財政改革を念頭に置いた制度の刷新を行おうとしていた事が理解できる。『羽地仕置』は, 羽地政権の問題発見の記録であると同時に問題解決のための著作である。17世紀後半を迎えた時点で, 当時の琉球王国がいかなる問題を抱えたまま推移していたか, その問題点を内部から鋭く指弾した怒りの記録でもある。そして, 羽地がそれらの諸問題にいかに対応したかを後世に伝えている。この書物において, 全編を通じ「琉球内部に巣くう敵」との戦いが熱く述べられており, その闘争により琉球の再興を図ろうとした羽地の恩念に彩られているといって良いであろう。
本研究の目的は, 羽地朝秀の主たる著作である『羽地仕置』を中心にして, 彼の財政改革を分析研究し, 後世への貢献を明確にする事にある。

Aインドにおける異文化結婚と行為選択としての同化と差異化−日本人女性の事例から               宮崎智絵(日本大学)
女性にとって結婚とは人生を左右する大きな転機であるが、外国人と結婚して外国に住むという選択には大きな決断が必要であろう。異文化結婚は、個人としてはマイノリティ、ジェンダー、宗教などの問題が複雑に関係しあうなか、アイデンティティの形成と維持を行いつつ同化をしなければならない。また、地域社会としては、それまでの結婚制度を大きく逸脱する行為である。結婚が女性の交換であるとするならば、嫁がせる側からすると女性の欠落だけを生み出し、補充がないということになり、嫁ぎ先からすると異文化の混入、地域社会の混乱を生み出すというリスクがある。
さて、インドのヴァラナシィは、ヒンドゥー教の聖地として世界的に有名な都市であり、インド国外からも多くの観光客が訪れる国際都市でもある。ヒンディー語圏に属しているが、コルカタにも近いため、ヒンドゥー文化とベンガル文化が混在している地域なのである。
 そこで、本発表ではインドの地方都市であるヴァラナシィに結婚して移住した日本人女性たちへのインタビューから、インド人男性との結婚に際してどのような行為選択をしたのか考察していきたい。結婚してヴァラナシィに住むという選択をした女性たちは、行為選択を行なう際、異文化への適応という同化を選択するのか、または日本人としての自文化の維持またはそれまでのアイデンティティを優先して差異化を選択するのか、あるいは場面によって選択しているのか。そして、なぜそのような行為を選択したのか、その理由と背景について分析していきたい。

Bアジア系アメリカ人のモデルマイノリティ「神話」の虚像
武井 勲(日本大学)
本報告では、アジア系アメリカ人研究において広く認識されているモデルマイノリティ神話(the Model Minority Myth)をいくつかの観点から批評する. 「モデルマイノリティ」という用語は、1970年代にアジア系アメリカ人の経済的成功に言及する際に一般的に用いられるようなった. また「モデルマイノリティ神話」とは、モデルマイノリティとしてのアジア系アメリカ人のイメージに対する反駁であり、1970年代から80年代にかけて浸透し、今日まで広く認識されている. 同神話によると、このモデルマイノリティとしてのイメージはアメリカ社会の開放性を強調し、積極的差別是正措置や福祉を否定する政治的保守層のプロパガンダとして利用されているものに過ぎないと非難する. 広くアメリカ社会、特に労働者階級の白人を人種差別的であると非難するイデオロギーにより、アジア系アメリカ人に対する労働市場差別を示す調査結果は同神話の中核をなす要素となっている. 本報告では第一に、同神話の方法論的側面が誤った統計学的推論に基づくことを指摘する. 第二に、同神話から導き出される仮説の実証性の大部分が根拠に欠けるという点を論じる. 第三に、同神話を正当化すべく提唱される政治的論争は過度に単純化されたものであるという議論を試みる. 同神話が虚像であるにもかかわらず存在し続けるのは、それが大学のアジア系アメリカ人研究(Asian American Studies)において権限を持つ教授陣の自己利益にとっても都合がよく、延いては格差拡大や学歴偏住主義が促す労働者階級の搾取に象徴される現代アメリカ経済において、近年その重要性を増している大学組織における学問の政治的正当性の基盤となっているからである.

C日本美術院時代の岡倉天心の日本美術史論
雨宮久美(日本大学)
明治三十一(一八九八)年七月に日本美術院は、岡倉天心を中心として東京美術学校を辞職した橋本雅邦、下村観山、横山大観、菱田春草、らによって創設された。日本画の新しい試みとして「朦朧体」を確立した。天心と共に五浦にて共同生活をしながら、下村観山、横山大観、菱田春草、木村武村らは、日本画の制作に精進した。
 天心は日本美術院の機関誌『日本美術』第十七号(明治三十三年)に「日本美術史論」を掲載している。中国六朝芸術を論じた一章だけで中断しているが、初期の日本仏教美術の成立に六朝芸術が大きく関わっていることを指摘している。中国を初め諸外国との関わりの中から日本美術を考えるという天心の美術史の構想は、明治二十三年の東京美術学校での「美術史」「美学及美術史」の講義から一貫している。東京美術学校での天心の講義は数種類の筆記録が残されていて、大正十一年に日本美術院から刊行された『天心全集』に初めて活字化される。美術史や美学は日本では明治時代になってから成立したものであるが、天心はその先駆者であるとともに最も影響力のあった人物である。
 天心の日本美術院の創設と新たに美術史を構想した「日本美術史論」とはどのように関わるのだろうか。中断した天心の構想は、明治三十六年刊の『東洋の理想』(The Ideals of the East)に継承されていく。
 本発表では、岡倉天心の構想による日本画の再興と関わる日本美術史論を美学的背景も含めて考察する。天心の理想とした東洋美の中核をなす支那美術やインド美術との関わりから、日本美術史をどのように構想したかを検証する。さらに五浦の六角堂での共同生活から生まれた日本画の中から天心の仏教観を受けた作品を確認する。

D日本イメージの水脈―日本の弁当文化について―
池間里代子(十文字学園女子大学)
2016年10月31日の報道によると本年のインバウンドは2,000万人を初めて超え、2020年東京オリンピックでは4,000万人を見込んでいるとのことである。このような状況下で「クール」で「かわいい」日本文化が注目を集めている。本研究は日本イメージの水脈を探りその精神性について研究することを目的としており、その第1弾として日本の弁当文化について考察するものである。
 周知のとおり和食は2013年12月にユネスコにより世界無形文化遺産に指定され、世界にその存在を知らしめている。その中でも日本の「駅弁」「デコ弁」「キャラ弁」などが外国人の心を捉えている。その理由は栄養面・おいしさなどの他に、地産池消・「かわいい」などの背景があると考えられる。また、「Bento」として海外で認知されているとも聞く。
 日本の弁当文化の歴史は、平安時代の「頓食(とんじき):おにぎりの類」「干し飯(ほしいい)」を嚆矢に、安土桃山時代での「茶の湯」で用いられた漆器弁当箱に盛られた食事、あるいは花見の席での弁当、江戸時代の竹皮に包んだおにぎり・竹籠に入れた弁当、さらに観劇の際に出された「幕の内弁当」や冠婚葬祭に用いる「仕出し弁当」などバリエーションを広げた。また、鉄道の発達により「駅弁」が現れ、コンビニエンスストアの展開による各種弁当、ほか弁などの持ち帰り弁当、さらには空港で購入する「空弁」など日本の弁当文化は時代と共に進化している。(塚本美穂「日本の弁当文化における多様性とデコ弁とキャラ弁の登場」『比較文化研究』No.104、2012年11月)
 以上の歴史を鑑みると、弁当には旅行・労働などのための「日常弁当」と、観劇・花見などのイベント用「特別弁当」がある。日本の特徴として「日常弁当」にも見た目の良さや蓋をあけた時の昂揚感を追及していることが挙げられるのではないだろうか。また、現代では従来の「特別弁当」の他にも、こどもの日・母の日・父の日・敬老の日などの祝日弁当も発達している。このような点も含めて日本の弁当文化がなぜ外国人に受け入れられるのか、を考察する。

第三会場(3301)
@Thomas Hardy小説におけるモダニズム的側面について
杉本宏昭(日本大学)
トマス・ハーディ(Thomas Hardy: 1840-1928)は、イギリス・ヴィクトリア朝の作家・詩人である。長編小説の代表作は出版年順にFar from the Madding Crowd(1874 ), The Return of the Native(1878 ), The Mayor of Casterbridge(1886), Tess of the d’Urbervilles(1891 ), Jude the Obscure(1896 )がある。
ハーディはドーセット州の州都ドーチェスターで建築業を営む家系に生まれ、建築家を目指しロンドンで修行していたが、元来詩作に興味があった。しかし詩人では生計が立てられないことを知っており小説を書き始めた。ハーディの長編小説執筆時期は1871年から1897年までおよそ25年にわたっている。(ハーディは短編小説も出版している。また詩作は長編小説執筆中も継続的に行っていたが、長編小説終了後本格化した。)
ハーディが作家活動を始めたときはヴィクトリア朝でも後期ヴィクトリア朝とされる時期であり、19世紀末に向かって今までの文化的、社会的既成概念が崩れ始めていた時期でもあった。またVirginia Woolfをはじめとするモダニズム作家たちへ向かう過渡期でもあった。
ハーディは伝統的なリアリズム小説の枠組みが依然として残る時代に作家活動を始めたが、当然時代の影響もあり、従来のリアリズム小説の型に納まりきれない要素を小説につぎ込んでゆくことになる。
本発表では、ハーディの長編小説の中のモダニズム的側面を考察し、改めてハーディ小説の読み方ならびにとらえ方を検証してゆく。

Bラクロ『危険な関係』における「聖性」
橋本由紀子(日本大学)
ラクロの『危険な関係』(1782)は、狡知に長けた二人の人物、メルトイユ侯爵夫人とヴァルモン子爵が共謀し、純朴・貞淑な二人の女性(および複数の男性)を誘惑、籠絡する過程をたどる書簡体小説である。この小説はスキャンダラスな内容ゆえに悪徳小説の代表格と見なされ、道徳規範が厳しくなった翌世紀には何度も有罪宣告を受ける。しかしこの作品にはある種の宗教性、そして「聖性」が潜んでいると思われる。
本発表は、この物語を供儀という視点からとらえる試みである。メルトイユ夫人の、狙った相手を陥れるのは「必要からではなく、楽しみのため」(第152信)という言葉には、本来の使用目的から外れた「遊戯」という性質が見える。遊戯が聖性と密接に繋がった領域に存することはよく知られている。誘惑者たちは知力を尽くした奸計によって独自の聖域を作り出し、生贄の儀式を遂行していく。
書簡体小説という形式からわかるように、物語は人物たちによって記されたことばのみによって紡がれる。メルトイユ夫人とヴァルモンが仕掛ける罠も、そこに徐々に捕えられていく獲物たちの動きも、全て彼ら自身のことばの応酬によって示される。かつて記されることばは聖なる力を持ち、書くという行為は神聖な行いと見なされた。それは書くことが、自らの内面を神に向かって発する祈りの行為として捉えられたからである。しかし二人の捕食者は「思っていることは書かず、思っていないことを書くべし」をモットーとし、入念に偽装されたことばを、自分たちの主義(principe)を至上の掟とする聖域に発する。彼らのことばにはまた、キリスト教が絶対的権力を喪失していく18世紀末という時代性も反映されていると考えられる。この考察を進めるにあたっては、『危険な関係』を枕頭の書とするほど愛読していた『悪の華』の作者ボードレールによるラクロ論も参照する。

C旅情回想人間関係考−西欧編―:コミック『荷風になりたい 不良老人指南』を契機に                石渡利康(日本大学名誉教授)
最近見た本に、『荷風になりたい 不良老人指南』(2016年10月、小学館)がある。原作:倉科遼、作画:ケン月影のビッグコミックである。帯には、「永井荷風は滅びない。その理由が、ここにある」と書かれている。
 日本文学作品の読書量が極めて少ない私にとって、荷風の『あめりか物語』、『ふらんす物語』、「墨東奇談」などは若い時の愛読書である。(最近では、勝目梓のバイオレンス官能小説をや『異端者』ど読んでいる。)コミックをきっかけに、荷風を再び考えてみようとする気になった。
 荷風の作品、荷風について書かれたものを読んで見ると、荷風はかなり勝手気ままに生きたことが分かる。また、偏屈で依存症的傾向をもっていたようである。典型的なのは、風俗界依存症と雨傘依存症、性病検査依存症、それに日記記述依存症、金銭依存症である。だが、依存性は、その対象を別として誰にでもあるから驚くことはない。
荷風は、明治政府批判なども行っている。また、女性、風俗を通して人間の本質を観察し、西欧と日本との対峙考察もなしている。
 荷風はかなり風変りである。しかし、そう言っている私自他人から見れば変わっているに違いない。人間、変わっているから面白いのである。
 国内、国外社会での不条理な危機状態が高まっている今日、何も荷風を気取るわけではないが、非日常的状況である旅における人間観察を西欧という場においてなそうとするのが、この発表、すなわち narrative essayである。







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