国際文化表現学会

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zoom RSS 国際文化表現学会第14回大会プログラム・研究発表要旨

<<   作成日時 : 2018/04/30 15:06  

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国際文化表現学会 第14回研究発表会・総会


日時:2018年5月12日(土)
会場:十文字学園女子大学(新座キャンパス)8号館8201.8202.8203教室

11:00 理事会(8202教室)

11:50 受付開始

総合司会:池間里代子(十文字学園女子大)

12:20 開会の辞 会長・佐野日本大学短期大学学長・日本大学名誉教授 
                佐藤三武朗

   *学長挨拶  十文字学園女子大学学長 志村 二三夫

12:30 研究発表A ( 8201教室)

 1. <招待発表>

カズオ・イシグロの小説にみるポストモダン文学の功罪
―『忘れられた巨人』を中心に―
日本大学総合社会情報研究科講師 松岡直美
(司会:静岡産業大学 後藤隆浩)

13:10〜
 2. シンポジウム「結婚という制度」

  (1) 19世紀転換期アメリカの結婚制度と文学−ジェイムズからドライサーへ
(司会)日本大学 宗形賢二
  (2) 19世紀フランス文学に見る結婚制度
―フロベール『ボヴァリー夫人』(1857)を中心に―
日本大学 橋本由紀子
  (3) 風俗喜劇作家としてのモームとワイルド―世紀末前後の英国社会と結婚の諸相―
日本大学 前島洋平
  (4) 魯迅『祝福』にみえる結婚と葛藤
十文字学園女子大学 池間里代子

12:30 研究発表B ( 8202教室)  *研究発表は、発表25分質疑10分

 1. J.A.シュトライヒャーのヴィーンにおける慈善活動について
日本大学大学院 田村 怜
(司会:日本大学 須永 豊)
 2. 白居易の詠雪詩について
日本大学 中元雅昭
(司会:日本大学 時松史子)
3. 日本における老舎の児童文学受容について
日本大学 時松史子
(司会:日本大学 呉 川)
4. 世界一周早回り競争の記者が見た日本
―エリザベス・ビスランドとネリー・ブライの場合―
日本大学 梅本順子
(司会:日本大学 村井和子)
5. タンクレーディ物語の変容—カンプラからロッシーニのオペラへ—
日本大学 椎名正博
(司会:日本大学 江島康子)

13:10 研究発表C ( 8203教室)

1. 「配偶者の相続分見直しについての一考察―フランス法との比較を中心として」
日本大学 鈴木信好
(司会:日本大学 小野健太郎)
2. 韓国の民衆歌謡に関する考察―文化継承の視座から考える課題点
名古屋外国語大学 齋藤 絢
(司会:日本大学 吉田正紀)
3. 非イスラーム地域日本に暮らすムスリムの現状
日本大学 伊藤雅俊
 (司会:日本大学 高橋 章)
4. カンボジア・モン族・ラオス系アメリカ人と労働市場格差
日本大学 武井 勲
(司会:名古屋市立大学特任教授 岡本博之)
  5. 日本語と中国語における否定接頭辞「非」(“非”)に関する対照研究
安徽財経大学 黄 偉
(司会:日本大学 呉 川)

15:30  講 演 (8201教室)      司会 日本大学 高橋 章

   「現代アメリカのパラノイア傾向−宗教思想史の文脈から」
国際基督教大学副学長 森本あんり

16:35 総 会(8201教室)  司会:日本大学 永塚史孝 
   
    閉会の辞         副会長・日本大学 高橋 章

17:15 懇親会(7号館カフェテリア)  司会: 日本大学 福島 昇
                   長岡技術科学科学大学 高橋綾子 
乾杯                      

閉会の辞                

*懇親会のお申し込みは、5月6日(日)までに、学会事務局宛てに、葉書または電子メール等でお知らせください。


*本学会は学生や一般の方々にも公開しています。事前申し込みは不要です。


会場案内
十文字学園女子大学(新座キャンパス)
埼玉県新座市菅沢2-1-28

JR武蔵野線「新座駅」からの徒歩8分
JR武蔵野線「北朝霞駅」より「新座駅」下車、徒歩8分

お問い合わせ:
〒411-8555 三島市文教町2-31-145
国際文化表現学会事務局(宗形研究室)
Phone&Fax: 055-980-0751
Email: munakata.kenji@nihon-u.ac.jp

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研究発表要旨:


研究発表A ( 8201教室)

1. <招待発表>

カズオ・イシグロの小説にみるポストモダン文学の功罪
―『忘れられた巨人』を中心に―
日本大学大学院総合社会情報研究科講師 松岡直美

カズオ・イシグロの小説7編は設定によって、ほぼ発表年順に、「日本物語」(『遠い山なみの光』1982、『浮世の画家』1986)、「英国物語」(『日の名残り』1989、『わたしたちが孤児だったころ』2000)、そして「国を越えた普遍的物語」(『充たされざる者』1996、『わたしを離さないで』2005、『忘れられた巨人』2015)と3群に大別できる。この「国 nation」を超えての「物語 narrative」への転換はイシグロ文学におけるポストモダニズム加速の軌跡である。初期、中期の一見リアルな「日本」と「英国」も、実はイシグロの記憶や概念、小説や映画などの虚構、またステレオタイプ・イメージの合成であって、後のSFやファンタジーの構築プロセスと本質的に変わるところはない。ポストモダン文化のテクノロジーは模倣ではなく、複製であると喝破したボードリヤールの理論を具現しているとも言えよう。
今回の発表では、こうしたイシグロの小説におけるポストモダン文学の特質を確認した上で、最近作『忘れられた巨人』を読み直し、その今日的意義を考える。本作はベーオウルフやアーサー王物語から『指輪物語』までをも彷彿させる―言い方を変えれば、こうした先行物語を借用・合成したファンタジー/寓話である。イシグロは記憶と忘却の狭間にあって過去の過ちに対峙し、あるいは回避しようとする人間を一貫して描いてきたが、これを6世紀から7世紀の創成期英国に置き換え、国や社会民族集団の記憶と忘却について語ることを試みている。忘却の霧を吐く竜が退治されて埋められた巨人が目覚めるという寓話は、忘却による平和か、戦争の記憶による暴力の連鎖か、あるいはファンタジーの語りかと我々に問い掛ける。発表から2年を経た今日の世界において正に現実の課題である。


2. シンポジウム: 「結婚という制度」

 趣旨:このシンポジウムでは、本学会の特色である多文化多国籍の立場から、19世紀後半から20世紀初頭にかけての世紀転換期に、欧米とその影響下にあった東洋の国々で、結婚という制度がどのように文学に形象化されたかを再考する予定である。今回は時間的な制約で、フランス文学からはフロベール、英文学はモームとワイルド、アメリカ文学ではジェイムズやギルマン、ショパン、中国文学からは魯迅に限られた。シンポジウムの見立てとしては、個々の作品の詳細な分析を等閑にすることは無論ないが、今回設定したテーマの大きさから、「近代化」と結婚制度がどのように連動し、あるいは伝統や因習と結婚制度がどのように離れがたく結びついていたかを俯瞰、比較し、その狭間で生まれた文学を参加者と享受できれば幸いである。


  (1) 19世紀転換期アメリカの結婚制度と文学−ジェイムズからドライサーへ
(司会)日本大学 宗形賢二
本発表では、ヘンリー・ジェイムズの『ワシントン・スクウェア』(1880年)、シャーロット・パーキンス・ギルマンの『黄色い壁紙』(1892年)、ケイト・ショパンの『目覚め』(1899年)、セオドア・ドライサーの『シスター・キャリー』(1900年)までを概観し、19世紀転換期アメリカの結婚制度とアメリカ的「リスぺクタビリティ」を検討したい。ジェイムズの作品では、NYを舞台に、優秀な開業医のスローパー医師とその一人娘のキャサリンの結婚を巡る親子の確執を通して、ヴィクトリアニズムの典型的家父長制が描かれる。これが、1892年の出版のシャーロット・パーキンス・ギルマンの『黄色い壁紙』になると、産後の精神的健康のため医師である夫に閉ざされた部屋での生活を勧められ、それが逆に主人公の精神的抑圧になってしまう物語によって、当時の男性社会による女性への医学的、職業的抑圧が描かれる。ケイト・ショパン作『目覚め』は1899年に出版されたが、この作品ではエドナ・ポンテリエが、因習に抗い、女性としての自己の解放を求めた結果、最後に海に入っていく。さらにドライサーの作品では、「家」や家族から離れ、一人で都会生活を送るキャリー・ミーバーが、生活のために男を変え、女優として成功していく過程で、家父長制どころか一夫一婦制や結婚という制度自体の意味が問われる作品になっている。これらの作品は、どのような社会的背景の中で書かれたのか、特に医師という職業と結婚の社会性を取り上げ今後の課題提起としたい。

  (2) 19世紀フランス文学に見る結婚制度
―フロベール『ボヴァリー夫人』(1857)を中心に―
日本大学 橋本由紀子
「芝生に腰をおろし、日傘の先でそこをつつきながらエマは繰り返した―ああ、なぜ結婚なんてしたんだろう。」
19世紀フランスの片隅に生きるボヴァリー夫人のこのつぶやきは何を表すのか。この小説は発表されるや否や、風俗紊乱および宗教侮辱の廉で起訴された。修道院で教育を受けたエマは、田舎医者を夫に持ち、夢見たロマンチックな恋愛とはほど遠い退屈な結婚生活に倦怠を感じ続け、幻滅の果てに姦通、破産、自殺へと流されていく。大革命を経て市民社会が確立される19世紀フランスでは、集団による順応主義的な道徳が形成される。「夫は妻を保護し、妻は夫に服従すべし」というナポレオン法典の記述通り、男女の役割分担が徹底され、結婚および家庭が社会秩序の中核を担う。かつての権威を失ったとはいえ、長らくこの聖なる絆を司ってきたカトリック教会がこのシステムを補助し、道徳規範を管理する。こうした〈聖域〉に懐疑のまなざしを向け、自らの理想世界を求めて結婚生活に官能的欲望を一心に混ぜ合わせていくボヴァリー夫人は、警戒すべき存在と見なされた。
結婚は19世紀フランス文学の一大テーマである。『結婚の生理学』(1829)を著したバルザックは、「あらゆる知識の中で結婚に関する知識が最も進んでいない」と述べた。結婚を神聖視し社会の主軸とする歴史は古い。キリスト教文明において、結婚は12世紀にカトリック教会が正式に秘蹟とする前から、人々の信仰や生き方に深く関わってきた。折しも今年の2月、未刊行だったミシェル・フーコーの『性の歴史』第四巻がフランスで出版された。その主題のひとつはまさに結婚にある。この書籍に触れつつ、現代にも様々な問題を提起するこの時代の結婚制度を巡るドラマを、人々の葛藤を、『ボヴァリー夫人』を中心とした文学作品を通して考察する。

  (3) 風俗喜劇作家としてのモームとワイルド―世紀末前後の英国社会と結婚の諸相―
                        日本大学 前島洋平
19世紀ヴィクトリア朝期に生まれ、20世紀後半に没した英国の作家サマセット・モーム (1874-1965) は、風俗喜劇の流れから見ると、19世紀に活躍したオスカー・ワイルド(1854-1900)の後継者に位置付けられる。また、ワイルドが1895年に同性愛の罪で投獄されると、同じ性的志向の持ち主であったモームはこれに強い衝撃を受け、同じ轍を踏まないよう特段の注意を払ったという。両者は同じように妻子を持ち幸福な家庭生活を営んだ時期もあったが、後世の人々から見れば、それぞれが生きた時代の社会規範から逸脱した存在であったと評することができるだろう。
 厳格な倫理観を特徴としたヴィクトリア朝の時代から20世紀の女性解放の時代への変化を目撃したモームは、作品のなかでこのテーマを採用することが少なくない。長編小説だけに絞ってみても、主人公の女性が不倫の代償として死を与えられる『ランベスのライザ』(1897)、夫に先立たれ、先祖代々の土地から離れて新たな生活に踏み出す女主人公の強い意志を描き出した『クラドック夫人』(1902)など、19世紀末から20世紀初めにかけての主要作品の主人公は女性であり、各時期の社会問題を反映したテーマ設定となっていることがわかる。
 本シンポジウムでは、19世紀から20世紀という激動の時代を生きたモームの作品を通して英国社会の近代と結婚について考察する。とくに、ワイルド作品との比較によって、ヴィクトリア時代だけに生きたワイルドと、ヴィクトリア時代を超えて20世紀の大変革を経験したモームの思想的な違いが見えてくれば、そこに英国近代を示唆するヒントが与えられるように思う。取り扱う作品は、ワイルドは『理想の夫』(An Ideal Husband, 1895)、モームは『コンスタント・ワイフ』(The Constant Wife, 1927)を予定している。

  (4) 魯迅『祝福』にみえる結婚と葛藤
十文字学園女子大学 池間里代子
中国社会の近代化は1911年の辛亥革命成功によって清朝が滅亡し、中華民国に以降したことにより推進した。しかし、数千年にもわたる伝統的な結婚制度は中々消し去ることができず、ほぼ自由恋愛結婚になったのは1949年の中華人民共和国成立まで待たねばならなかった。
伝統的な結婚制度とは、春秋戦国時代に母系家族から父系家族の宗族制へと変化したころに始まったと考えられている。宗族には「同姓不婚(同じ姓の者同士は近親者とみなし結婚を許されない)」「門当戸対(双方の家柄がつりあっている)」「親戚不差輩(異なる世代間での結婚は認められない)」などの不文律があり、歴代の文学作品にはこれらから逸脱した自由恋愛が多く創作されている。なお、宗族を形成しない下層では、女児は売買対象となっていた。
 魯迅は初期小説『祝福』(1924年)の中で、貧しさのために売られたが夫が若死にしたために女中に再び売られた祥林嫂という女性の一生を描いた。祥林嫂は女中として有能で仕事も楽しめたが、ある日元姑から再転売され嫁ぐ。悲しむ彼女だったが、男児に恵まれつかの間の幸福を味わう。しかし、夫の病死・息子の夭逝により女中生活に戻る。徐々に精神を病み、ある人から「再婚した女は死後斧で二つに切られ成仏できない」と脅され惑う。作者である「私」へ「死後の魂」「地獄の存在」「死後の家族」について問い、その未明雪の中で死ぬ。
 実は、この作品は魯迅の結婚と深く関係しているとの研究がある。すなわち、母が決めた結婚を気に入らないものの、自分が受け入れなければ許嫁の人生は大きく狂ってしまう。魯迅が否定したい、封建的結婚制度に絡めとられてしまった彼の葛藤を社会の近代化との軋みとして捉え、魯迅の結婚観を明らかにする。また、五四運動(1919年)から火がついた文学の近代化運動に『祝福』が占める意味を考察したい。


研究発表B ( 8202教室)

1. J.A.シュトライヒャーのヴィーンにおける慈善活動について
日本大学大学院 田村 怜
本発表では、音楽家ヨハン・アンドレーアス・シュトライヒャー (1761~1833)が生涯において行った慈善活動のうち、彼が関与したヴィーン楽友協会創設のきっかけにもなった慈善演奏会を取り上げる。
 ドイツ出身のシュトライヒャーは、ヴィーンでピアノ製作会社を営む傍ら、ベートーヴェンのために特注のピアノを製作、若手音楽家育成のため音楽サロンを主催、声楽学校創設に出資し教会音楽の発展に寄与するなど、有力な指導者として当時の音楽社会に貢献した。また、青年時代、若き日のフリードリヒ・シラーと知り合い、彼の国外逃亡に同行、物心両面で彼を支援し、没後も彼の墓所問題に尽力するなど、シュトライヒャーの生涯は一貫して献身的な姿勢で貫かれていた。
 さて、シュトライヒャーのヴィーンにおける慈善活動は近年徐々に明らかになってきている。彼は1812年4月、自費で建設した音楽ホールにおいて慈善団体と共に演奏会を主催し、収益金を眼病患者支援のために寄付したが、この演奏会は後の楽友協会創設の最初のきっかけになったと考えられる。また同年11月、シュトライヒャーはバーデンで起こった大規模火災の被災者を支援するための慈善演奏会にも関与(歌唱指導も担当)したが、これは先の演奏会の成功を受けて企画されたものだった。アマチュア音楽家を中心とした600人以上の大編成で構成された演奏会は、楽友協会創設への大きなステップとなった。ふたつの慈善演奏会の成功は当時のマスコミにおいて高く評価されたが、これは多くの企画賛同者を集め、アマチュア演奏家達に音楽による社会貢献のきっかけを与えたシュトライヒャーの功績に他ならなかった。このように彼が慈善演奏会を主催したことがきっかけで楽友協会創設につながったことは、今日ほとんど知られていない。本発表では、慈善演奏会におけるシュトライヒャーの貢献を明らかにし、彼の正当な評価を試みたい。

2. 白居易の詠雪詩について
日本大学 中元雅昭
本発表は、中国の詩人・白居易(772−846)の「雪」という自然物の詠じ方について考察するものである。白居易はその生涯において、風景描写や賞玩の対象として「雪」と「月」と「花」を多く詠んだことで広く知られる。事実、季節の風物の美を象徴する「雪月花」という言葉は、白居易詩の「雪月花の時最も君を憶う」(2565「寄殷協律」)にはじまる造語である。また、「雪」を詩題に掲げる白居易の作品は全部で27首確認でき、これは『全唐詩』のおいて最も多い数でもある。
これまでの研究おいて、白居易にとって「月」と「花」は単に愛でる対象に留まらず、詩人の「情」を解する友人のような存在として認識されていたことがすでに指摘されている(中木2015)。しかし、一方で「雪」については未だ網羅的な調査が行われていないというのが現状である。
また、唐代における詠雪詩の特徴としては、「雪」を花に見立てて詠うという伝統的な描写方法が見られるが、本発表ではさらに雪の属性としての「白」という色彩にも焦点をあてて、白居易の表現方法の特色を考察することにする。「雪」はその性質上、「白」という色彩イメージが自ずと附与されており、白居易に詩においては他の自然物の色彩語と多くの対句を構成している。このような色彩対という修辞上の技法も考察の糸口として、白居易の詠雪詩における創作態度とその表現方法の特徴を明らかにしたい。

3. 日本における老舎の児童文学受容について
日本大学 時松史子
清国末期北京に誕生した老舎(1899〜1966年)は20世紀前半の中国を代表する作家の一人で、流麗な北京語で北京の市井の人々を描いたことで知られる。その代表作『駱駝祥子』は世界二十数か国で翻訳されているが、日本では六名の訳者が翻訳を手がけ、原作各版の内容の異動等による改訳・同一訳で版元が異なるものを含めれば、出版点数は十二点に及ぶ。
 だが、1936年日本で初めて翻訳された老舎の小説は『駱駝祥子』ではなく、『支那悪童物語―支那版いたづら小僧日記―』(原作名≪小坡的生日≫、以下『小坡の誕生日』と呼ぶ)であった。『小坡の誕生日』はシンガポールに住む十歳の華僑の少年を主人公にしたシンガポールが舞台の長編小説である。小説としての評価は『駱駝祥子』に遠く及ばないが、日本では一般向けのほか児童向け文学作品として度々翻訳出版されてきた。その翻訳は小説前半の抄訳がほとんどではあるが、訳者別の出版点数は『駱駝祥子』に匹敵する。この『小坡の誕生日』のほかに、老舎の短編小説・児童劇・絵本も日本の子どもに広く供されていた時期があった。
 そこで、老舎の作品の中から日本で児童向けに翻訳出版されたものに目を向け、その作品及び翻訳または上演の実績を概観する。また、とくに翻訳出版点数が多い『小坡の誕生日』については、その理由や日本人の老舎像への影響等を考察する。そのような実績の紹介や考察を通して、老舎の児童文学の受容が日本における老舎受容の一隅を形成していたことを述べたい。

4. 世界一周早回り競争の記者が見た日本
―エリザベス・ビスランドとネリー・ブライの場合―
               日本大学国際関係学部 梅本順子
世紀末の1889年11月、ジュール・ベルヌの『80日間世界一周』を立証するために、ニューヨークの二人の女性記者が前後して一人は東、もう一人は西という反対周りで、世界一周早回り競争に挑んだ。ワールド紙の記者ネリー・ブライ(Nellie Bly,1864-1922)と、コスモポリタン誌のエリザベス・ビスランド(Elizabeth Bisland,1861-1929)である。勝者は、これを企画したブライであった。勝負はともかくも、二人はそれぞれ体験を出版した。ビスランドは『7つの場面: 世界一周弾丸旅行』(Seven Stages: A Flying Trip around the World, 1891)、ブライは『72日間世界一周』(Around the World in Seventy-two Days, 1890)となっている。
ビスランドは、ラフカディオ・ハーンの後輩記者で、ハーンの死後、遺族公認でハーン伝『人生と書簡』(The Life and Letters of Lafcadio Hearn,1906)を出版したのみならず、彼女が世界一周の途上で日本に立ち寄ったことが、その直後のハーンの来日(1890)に影響を与えることになった人物である。また、これ以外にも、この二人の女性記者の競争の背景にはハーンと関わる人物がいた。ブライが世界一周に挑めたのは、当時ワールド紙の編集責任者であったジョンA. コカリルの後押しがあったことがあげられるが、この編集者こそ、シンシナティ・エンクワイアラー紙で、ハーンの記者としての才能を最初に見出し、またその後、同棲問題を理由に彼を首にした人物であった。
本発表では、二人が残した作品の中から、日本についての記述をもとに、彼らが見た日本についてみてゆく。ビスランドは太平洋を横断して上陸した最初の国が日本であったが、乗りかえの都合で滞在は二日に過ぎず、方やブライは帰路の最後の地として日本に上陸し、船の便の都合で正月の五日間を過ごしたのであった。特にビスランドの場合は短いとはいえ、彼女が横浜で出会った人物(当時米海軍主計官ミッチェル・マクドナルド)が後にハーンの友人になったことを踏まえ、それぞれが体験した日本をみてゆく。

5. タンクレーディ物語の変容—カンプラからロッシーニのオペラへ—
日本大学 椎名正博
第1回十字軍の英雄タンクレーディは、400年以上の年を経て詩人タッソの『解放されたエルサレム』によって、イスラム教徒の女戦士クロリンダとの恋愛と決闘という悲劇の主人公として注目を集め、その後絵画や、17世紀に最初の繁栄をむかえる総合芸術ジャンル、オペラによって取り上げられることになった。オペラの創始者といわれるイタリア人作曲家モンテヴェルディのマドリガーレ『タンクレーディとクロリンダの戦い』はタッソの叙事詩をそのまま使って作曲されている。18世紀を迎えてフランスでもタッソの筋書きをなぞる形のオペラ『タンクレード』がカンプラによって書かれている。それから50年ほど後にヴォルテールが書いた戯曲『タンクレード』は、それ以前のタンクレーディ物語とは全く趣を変えた内容として上演された。すなわち、物語の舞台は十字軍より100年ほど前のシチリアに設定され、主人公タンクレードが自らをひき裂く要因として担うことになったものは、片方の恋愛はタッソの物語と同じだが、もう片方にあるのは「祖国愛」という、いわば近代的な要素である。この戯曲は19世紀に入ってオペラというジャンルの革新者であり、近代オペラの創始者ともいえるロッシーニがオペラ化しているのだが、その内容は当時としては野心的な試みが多くなされていた。最も注目すべきは、タイトルロールであるタンクレードがソプラノ歌手によって演じられることである。男性の役を女性が演じることを「ズボン役」と称するが、これは舞台上の歌手たちの声のバランスをとるために生じた結果であるとされるのが普通だが、そのためにまた別の効果が生まれたことも見逃せない。タンクレードが担うことになった新たな時代の新たな役割を、多角的に考察してみたい。


研究発表C ( 8203教室)

1. 「配偶者の相続分見直しについての一考察―フランス法との比較を中心として」
日本大学 鈴木信好
相続法制の見直しを目的とした法制審議会民法(相続関係)部会が、平成27年4月に第1回会議を開催した。平成28年6月21日には、中間試案も公表され現行相続法制のどの部分が議論されているかが明らかとなった。中間試案では、5つの論点について審議されている。その中でも、今回は、「第1配偶者の居住権を保護するための方策」について取り上げる。
 現在、相続分は、相続財産の2分の1を配偶者が、残りの2分の1を子が相続すると定められている(民法第900条参照)。しかし、本規定の相続分割合では、遺産分割により生存配偶者が相続前の生活を維持できない問題が生じている。
 この問題と類似する問題に関する規定を持つ国がある。
 フランスでは、1965年にフランス民法典第215条3項を規定した。本規定は、夫婦の居住用不動産に関する規定である。わが国の夫婦財産は別産制を採用しているのに対し、フランス法では所得共通性を採用していることから、フランス法を比較検討の対象とすることは、適切性を欠くという批判もある。しかし、フランスでは、本規定が設けられたことにより、これまで判例・学説の蓄積がなされ、多くの研究と分析が行なわれている。この蓄積された研究と分析は、わが国の生存配偶者の居住権を保護する施策を考える上で有益であるといえる。
 本発表では、フランス法を検討対象とし、わが国との社会的文化的な背景、相続に関する考え方などの相異を明らかにした上で、わが国における生存配偶者の従前の生活を維持する方策について検討する。また、わが国の相続分規定に関する改正が行われた社会的文化的背景や国際社会が及ぼした影響についても検討し、わが国の相続分規定に関する変遷の経緯についても検討する。

2.韓国の民衆歌謡に関する考察―文化継承の視座から考える課題点
名古屋外国語大学 齋藤 絢
2018年現在の韓国では、市民の政治参加の場として、社会運動が盛んに展開されている。社会運動には、具体的に労働組合を主体とした労働環境の改善を求めたものや、不透明な政治資金の運営や政策に対する市民運動、2016年4月の旅客線セウォル号の沈没事故の際に露わになった政府の安全危機管対策に対して、国民が怒りを体現したデモなどがある。
 現代の韓国社会で展開されるこれらの社会運動は、市民の政治参加の場であった60年代から80年代にかけて激しく展開された労働運動と、90年代以降の民主化運動の流れを多く含んでいる。現代の社会運動に参加する者の多くは、民主化運動の経験を持ち、軍事独裁政権から国民主体の文民政権に移行していく過程を知っている人々である。
 本研究では、韓国の社会運動の一つの特徴である民衆歌謡を主体としている。民衆歌謡は、市民が市民のために作った歌であり、民衆歌謡の歌い手が、過去の社会運動の経験を土台に制作した楽曲である。民衆歌謡は、具体的には、労働歌謡や民主化運動で歌われた曲をはじめ、社会運動で歌う曲全体を指している。上に述べたセウォル号沈没事故で、多くの命を犠牲にした高校生たちの曲もまた、民衆歌謡の一部である。
 このような視座から考えれば、市民による、市民のための民衆歌謡は、韓国の民主主義を表象する社会的価値のある文化の一部として捉えることができる。しかし、民衆歌謡を歌う歌手たちの活動資金は、基本的に公演のチケット料金やアルバム制作によって得たものであり、大衆歌謡のように産業の基盤がなく、活動を続けていくための十分な資金の獲得が課題となっているのが現状である。
 本発表では、労働運動が本格化していく60年代から80年代を第1期、民主化運動が本格的に展開され民主的な文化政策が打ち出された90年代から2000年代初頭までを第2期、それ以降現在までを第3期として、政府が打ち出した文化政策の流れを提示する。また、民衆歌謡が文化の一部としてどのように存続してきたのかを明らかにし、民衆歌謡歌手の文化活動の様子と、現在課題となっている資金運営等の課題点について検討していきたい。


3. 非イスラーム地域日本に暮らすムスリムの現状
日本大学国際関係学部 伊藤雅俊
本発表では、日本に居住しているムスリムに関する先行研究を検討した上で、概して世俗的と言える日本において、彼らがムスリムとしていかに生活しているのかを報告する。本発表は、発表者が実施しているフィールドワークの成果の中間報告となる。研究対象者は、日本の外国人ムスリムおよそ10万人の国籍別で第1位、全体の約5分の1を占め、また発表者にとってコンタクトのとりやすいインドネシア人が主となる。
発表者は、これまで日系インドネシア人について、スマトラ島最大の都市メダンと東海地方を主なフィールドとして民族誌的研究を実施してきた。日本で暮らす日系インドネシア人二・三世を観察してみると、彼らのなかには日系人意識が強化されると同時に、ムスリムとしての意識が強まるという者が認められた。そうした日系人と出会ったことで、ムスリムが非イスラーム地域で良きムスリムとなるためにどのような信仰生活をしているのか、ムスリムとしての生き方や考え方の変化はあるのか、子弟たちにはどのような教育を施しているのか、といったことなどムスリムの生活世界全般に興味を持つようになった。
上述のように、日本で「ムスリムとしての意識が強まる」のは移住先で移住者が自らの帰属意識をどこに置くのかという問題ともかかわってくる。移住者は移住先、異文化社会・多文化社会で生きるために、快適に過ごすために、いくつもある文化要素から一つ(ときには複数かもしれないが)を選択し、団結する。既存の社会学的・文化人類学的研究が示しているように、それはときに政治的・戦略的であったりもする。こうしたトランスナショナルな移民研究の視点を採用した民族誌的研究を目指している。
                                           
4. カンボジア・モン族・ラオス系アメリカ人と労働市場格差
日本大学国際関係学部 武井 勲
本報告では、社会経済的格差に直面していると広く認識されているカンボジア・モン族・ラオス系アメリカ人の特徴を、近年の米国国勢調査局データを用いて概観する. 標本には、25歳から64歳で米国生まれのネイティブ世代および第1.5世代(外国生まれの移民だが13歳以前に渡米したため、英語が流暢である)を含めた. 彼らの多くは、1965年以降米国に移住してきた政治難民の子弟である. 分析では人口動態・社会経済的変数の記述統計を示すとともに、学歴や職業(経営管理・専門技術職の割合)、そして所得についての重回帰モデルを検証した. 比較の対象となる参照集団は、25歳から64歳のネイティブ世代で、非ヒスパニック系の白人と黒人である.
記述統計から、各集団ともに白人・黒人よりも平均年齢と既婚者の割合が低いにも関わらず子供数が多く、住宅保有率は白人を下回るものの、黒人より高い. また教育水準は白人を下回り、ラオス系は男女ともに黒人の水準をも下回っている. 職業については、経営管理・専門技術職の割合は白人より低いが、黒人を上回っている. 製造・運輸・通信の割合では白人や黒人を上回る. 都市部居住率は白人と黒人を上回る一方、特定地域への偏住が顕著である. そして絶対的・相対的貧困率ともに白人を上回り、年間所得は男女ともに白人を大幅に下回っている.
 カンボジア・モン族・ラオス系の社会経済的地位の低さは、教育水準に最も顕著に示されている. 所得水準については、人口動態的要因と教育を統計的に統制すると、カンボジア・モン族・ラオス系女性と白人女性との間には統計的に有意な水準での格差は見られない. 同様のことが、カンボジア・ラオス系男性と白人男性についても言える. 唯一の例外はモン族系男性で、白人男性との間には約13パーセントの所得格差が存在する. モン族系男性を除いて、東南アジア系3民族の所得格差は労働市場における人種差別というよりはむしろ、彼ら自身の社会階級的要因(特に低い学歴水準)に因るところが大きいと推測できる.

5. 日本語と中国語における否定接頭辞「非」(“非”)に関する対照研究
安徽財経大学 黄 偉
現代中国語における類接頭辞“非”と日本語における否定接頭辞「非」は、いずれも古代漢語に由来したものである。しかし、時代が発展するにつれ、「非」の性格と語義は、中国語と日本語の2つの言語で異なる変化が起きた。本発表では、古代漢語の“非”の意味用法を分析する上で、現代中国語における“非”と日本語における「非」の意味用法や語構成の特徴を考察し、比較研究を通じて、否定接頭辞“非”と「非」の語義と語構成の特徴の異同を探究した。具体的には、下記のような結論をまとめた。
 同じところには主に以下の2点がある。
@ 古代漢語の“非”が単語、フレーズ、文をすべて否定できるのに対し、現代中国語に
おける“非”と日本語における「非」は、もう文を否定できないようになってきた。
A現代中国語における“非”と日本語における「非」は、いずれも名詞と結びつき、「非金属」「非常任理事国」のような中日同形語の数は少なくない。
 違うところには主に以下の2点がある。
@現代中国語の“非”は、単語と結び付けても、フレーズと結び付けてもよい。それに対し、日本語の「非」は、フレーズに接続できない。
A日本語の「非」は名詞と結合できる以外にも、形容詞と「サ変動詞の語幹」と結合できる。それに対し、現代中国語の“非”は形容詞・動詞と組み合わせることはできない。

以上







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